今日は(正確には昨日)、学校の学習発表会児童公開日でした。自分はピアノ担当で、少々緊張していましたが、自分のピアノよりも、子どもたちの演技のほうが大事だ!と気持ちを切り替え、自分の役割をしっかりとこなそうと決めて、本番に臨みました。子どもたちは、いつもと違った中での発表で少し萎縮してしまいましたが、途中から、練習のようにリラックスムードで頑張っていたと思います。(なにぶん、ピアノ担当な分、子どもたちの様子をみていられないつらさ…)1年生の発表については、保護者公開でも同じようにがんばれれば、いいなという感想で終わりました。


他の学年を見ていて、感じたこと。どの学年も、なんだか、どうしたわけだか、自分の中で、満足し切れないものが多かったです。なぜなのかなぁ。と考えていたら、去年の学校の学芸発表会を思い出しました。

完成度。これですね。出来上がりの到達点が、きっと違うんだろうなと。教師がここまでと思えば、そこまでしかいかないし、もっとここまでと要求すれば、自然と到達点があがり、完成度も高くなる。

前の学校には、心一つに!というような全体のムードがありました。どの学年も、一つのもの目指して、頑張ってれんしゅうしてきたんだろうなということが、つたわってくる内容のものがおおかったです。

今の学校は、それが少し物足りなく感じたので、感動!!というものはあまりありませんでした。正直。

しかも、6年生の発表は、もう、「学習」発表会へ移行していっているなという内容で、社会科で学習した内容を元に、劇にしたり、模造紙にかいて発表したり、総合の学習発表会的な要素がつよいものでした。ですから、全体の一体感というものが、感じられず、非常に面白みに欠けるものでした。

このような形態にどんどん変わっていくとしたら、学習発表会はなくてもいいなと感じました。

やはり、何かをみんなで創り上げていくときの、最後のやりきったぞ!という感覚は、個々で色々なものを調べて、作ったり発表したりしても、味わえないのではないかと感じます。

別々にパート練習をしていて、全体で合わせたときの、気持ちよさや充実感、そういったものを味あわせたいと思います。

また、見ているものにとっても、感動するものは、全体合唱であったり、晴れ舞台での見事な演技などではないかと感じます。

学習発表会が、「学習」を発表する会になっていくことは、とてもいやですね。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索